おかだのブログ

たくさん本読みます

【継続】武器になる哲学 12権威への服従【勉強用】

武器になる哲学を読みます。

 

 

f:id:okdken:20191016075214j:plain

 

 

「役に立たない学問の代表」とされがちな哲学は、ビジネスパーソンの強力な武器になる。現役で活躍する経営コンサルだから書けた、「哲学の使い方」がわかる1冊。


【本書で紹介するキーコンセプト】
●第1章 「人」に関するキーコンセプト 「なぜ、この人はこんなことをするのか」を考えるために
・ロゴス・エトス・パトス――論理だけでは人は動かない(アリストテレス
・悪の陳腐さ――悪事は、思考停止した「凡人」によってなされる(ハンナ・アーレント) ほか

●第2章 「組織」に関するキーコンセプト 「なぜ、この組織は変われないのか」を考えるために
・悪魔の代弁者――あえて「難癖を付ける人」の重要性(ジョン・スチュアート・ミル
・解凍=混乱=再凍結――変革は、「慣れ親しんだ過去を終わらせる」ことで始まる(クルト・レヴィン) ほか

●第3章 「社会」に関するキーコンセプト 「いま、なにが起きているのか」を理解するために
アノミー――「働き方改革」の先にある恐ろしい未来(エミール・デュルケーム
・パラノとスキゾ――「どうもヤバそうだ」と思ったらさっさと逃げろ(ジル・ドゥルーズ) ほか

●第4章 「思考」に関するキーコンセプト よくある「思考の落とし穴」に落ちないために
シニフィアンシニフィエ――言葉の豊かさは思考の豊かさに直結する(フェルディナンド・ソシュール
反証可能性――「科学的である」=「正しい」ではない(カール・ポパー) ほか 

 

www.kadokawa.co.jp

 

 

 

最近本当に寒いですよね。

 

寒いのは苦手です。。。 

 

【12権威への服従】スタンレー・ミルグラム

 

ja.wikipedia.org

 

 

私たちは一般に、人間には自由意志があり、各人の行動は自由意志に基づいていると考えられています。

しかし、本当にそうなのか?

という疑問をミルグラムは投げかけます。

 

 

この問題を考察するにあたって、ミルグラムが行なった社会心理学史上、

おそらくもっとも有名な考察アイヒマン実験を紹介しましょう。

教育課程で心理学の単位をとったという程度の人であれば、ほとんどの授業内容は忘れているかと思いますが、

この実験の話だけは覚えているという人も多いようです。

具体的には次のような実験でした。

 

 

新聞広告を出し、

「学習と記憶に関する実験」への参加を広く呼びかける。

実験には広告に応じて集まった人から選ばれた二人の被験者と白衣を着た実験担当者(ミルグラムの助手)が参加します。

被験者二人にはクジを引いてもらい、どちらか一人が「先生」の役を、そしてもう一人が「生徒」の役を務める。

生徒役は単語の組み合わせを暗記し、テストを受けます。

生徒が回答を間違えるたびに先生は罰として生徒に電気ショックを与えるという実験です。

 

 

クジで役割が決まったら全員で一緒に実験室に入ります。

電気椅子が設置されており、生徒は電気椅子に縛り付けられる。

生徒の両手を電極に固定し、身動きができないことを確認してから先生役は最初の部屋に戻り、電気ショック発生装置の前に座ります。

この装置にはボタンが30個ついており、

ボタンは15ボルトから始まって15ボルトずつ高い電圧を発生させる

 

 

つまり最後のボタンを押すと450ボルトの高圧電流が流れるという仕組みです。

先生役の被験者は白衣を着た実験担当者から、誤答のたびに15ボルトずつ電圧をあげるように指示されます。

 

 

実験が始まると、生徒と先生はインターフォンを通じて会話します。

生徒は時々間違えるので、電気ショックの電圧は徐々に上がる。

75ボルトもで達すると、それまで平然としていた生徒はうめき声を漏らし始め、

それが120ボルトまで達すると「痛い、ショックが強すぎる」と訴え始めます。

 

 

しかし実験は続きます。

やがて電圧を150ボルトまで達すると「もうダメだ、出してくれ、実験はやめる、これ以上続けられない、実験を拒否する、助けてください」という叫びを発します。

 

 

電圧が270ボルトに達すると生徒は断末魔を叫びを発し始め、

300ボルトに至って「質問されてももう答えない!とにかく出してくれ!心臓がもうダメだ!」と叫ぶだけで、質問に答えなくなります。

 

 

この状況に対して白衣を着た実験担当者は平然と「数秒間待って返答がない場合、誤答と判断してショックを与えろ」と指示します。

さらに実験は進み、電圧は上がる。

その電圧が345ボルトまで達すると、生徒の声は聞こえなくなります。

 

 

それまで叫び続けていたのに、反応がなくなってしまいます。

気絶したのか、あるいは…

しかし白衣の実験担当者は容赦なく、さらに高い電圧のショックを与えるように指示します。

 

 

この実験で生徒役を務めているのはあらかじめ決められているサクラでした。

常にサクラが生徒役、応募してきた一般の人が先生役になるようにクジに仕掛けがしてあり、

電気ショックは発生しておらず、あらかじめ録音してあった演技がインターフォンから聞こえてくる仕掛けになったいたわけです。

 

 

しかし、そんな事情を知らない被験者にとって、この過程は現実そのものでした。

あったばかりの罪のない人を事実上の拷問にかけ、場合によっては殺してしまうかもしれない、という過酷な現実です。

 

 

さて、皆さんがこの「先生」役の立場だったら、どこで実験への協力を拒否したでしょう。

ミルグラムの実験では、40人の被験者のうち、65%にあたる26人が、痛みで絶叫し、最後に気絶してしまう(ように見える)生徒に、

最高の450ボルトの電気ショックを与えました。

 

 

どう考えても非人道的な営みに、これだけ多くの人が葛藤や抵抗感を示しながらも、

明らかに生命の危険が懸念されるレベルまで実験を続けてしまったわけです。

 

 

これほどまでに多くの人が実験を最後まで継続してしまったのはなぜなのか。

一つの考えられる仮説としては「自分は単なる命令執行役にすぎない」と、

命令を下す白衣の実験担当者に責任を転嫁しているから、と考えることができます。

 

 

実際に、多くの先生役の被験者は実験途中で逡巡や葛藤を示すものの、何かの問題が発生すれば責任は全て大学側で取るという言質を白衣の実験担当者から得ると、

納得したように実験を続けました。

 

 

「自らが権限を有し、自分の意思で手を下している感覚」の強度は、非人道的な行動への関わりにおいて決定的な影響を与えるのではないか、

ミルグラムは仮説を明らかにするため、

先生役を二人にして、一人にはボタンを押す係を、もう一人には回答の正誤の判断と電圧の数字を読み上げるという役割を与える実験を行いました。

 

 

このうち、ボタンを押す係はサクラなので、

本当の被験者の役割は「回答の正誤を判断し、与える電気ショックの電圧を読み上げる」ことだけになり、

つまり実験への関わりとしては、最初のものより消極的なものになります。

 

 

果たせるかな、最高の450ボルトまで実験を継続した被験者は、40人中37人、

つまり93%となり、ミルグラムの仮説は検証されました。

 

 

この結果は、逆に責任転嫁を難しくすれば、服従率を下がることを意味します。

例えば白衣を着た実験担当者を二人にして、途中からそれぞれが異なった指示を出すようにする。

150ボルトに達した時点で、一人の実験担当者が「生徒が苦しんでいる、これ以上は危険だ、中止しよう」と言い出す一方で、

他方の実験担当者は「大丈夫ですよ、実験を続けましょう」と促す。

このような状況下において、それ以上の電圧に進んだ被験者は一人もいませんでした。

実験を継続するかどうかの意思決定は本当の被験者である(サクラではない)先生役に大きくのしかかってくることになり、責任転嫁ができないからです。

 

 

ミルグラムによる「アイヒマン実験」は1960年代の前半にアメリカで実施されたものです。

この実験はその後、1980年代の中頃に至るまで様々な国で追試が行われていますが、

そのほとんどがミルグラムによる実験結果以上の高い服従率を示しています。

つまり、この実験結果はアメリカに固有の国民性やある時代に特有の社会状況に依存するものではなく、

人間の普遍的な性質を反映していると考えるべきだということです。

 

 

 ミルグラムによる「アイヒマン実験」の結果は様々な示唆を私たちに与えてくれます。

 

 

一つは官僚制の問題です。

官僚制と聞けば、官庁などの役所で採用されている組織制度と考えがちですが、

上位者の下にツリー状に人員が配置され、権限とルールによって実務が執行されるという官僚制の定義に当てはめれば、

今日の会社組織のほとんど全ては官僚制によって運営されていることになります。

 

 

ミルグラムの実験では、

悪事をなす主体者の責任が曖昧な状態になればなるほど、人は他者に責任転嫁し、

自制心や良心の働きは弱くなることが示唆されます。

これがなぜ厄介かというと、組織が大きくなればなるほど、良心や自制心が働きにくくなるのだとすれば、

組織の肥大化に伴って悪事のスケールも肥大化することになるからです。

 

 

ヒトラーなどの狂信的な指導者が中枢で旗を振るだけでは人は死にません。

銃や毒ガスを用いて人の手で実際に罪のない人を虫のように殺していたのはナチスの指導者たちではなく、私たちと同じような一般市民だったのです。

 

 

彼らの自制心や良心はこのとき、なぜ働かなかったのか。

アーレント「分業」という点に注目します。

 

 

ユダヤ人の名簿作成から始まって、

検挙、拘留、移送、処刑に及ぶまでのオペレーションを様々な人々が分担するため、

システム全体の責任所在は曖昧になり、極めて責任転嫁のしやすい環境が生まれます。

 

 

このオペレーションの主導的ば役割を果たした、

アドルフ・アイヒマンは、良心の呵責に苛まれることがないよう、

できるかぎり責任が曖昧に分断かされたオペレーションを構築することを心がけた、と述懐しています。

 

 

ミルグラムの実験結果は、人が集団でなにかをやるときこそ、

その集団のもつ良心や自制心は働きにくくなることを示唆しています。

 

 

もう一点、ミルグラムによる「アイヒマン実験」はまた、

私たちに希望の光を与えてくれます。

 

 

権威の象徴である「白衣の実験担当者」のあいだで意見が食い違った時、

100%の被験者が150ボルトという「かなり低い段階」で実験を停止した、

という実験結果から、自分の良心や自制心を後押ししてくれるような

意見や態度によって、ほんのちょっとでもアシストされれば、

人は「権威への服従を」止め、良心や自制心に基づいた行動をすることができる。

 

 

人は権威に対して驚くほど脆弱だというのが、

ミルグラムの「アイヒマン実験」の結果から示唆される人間の本性ですが、

権威へのちょっとした反対意見、良心や自制心を後押ししてくれるちょっとしたアシストがあれば、

人は自らの人間性に基づいた判断をすることができる、ということです。

 

 

システム全体が悪い方向に動いている時に「これは間違っているのではないか」と最初に声をあげる人の存在の重要性を示しているように思います。

 

 

現在のように分業がスタンダードになっている社会では、

私たちは悪事をなしているという自覚すら曖昧なままに、

巨大な悪事に手を染めることになりかねません。

 

 

多くの企業で行われている隠蔽や偽装は、その分業によってこそ可能になっていると考えられます。

 

 

これを防ぐためには、自分がどのようなシステムに組み込まれているのか、

自分がやっている目の前の仕事が、システム全体としてどのようなインパクトを社会に与えているのか、

それを俯瞰して空間的、あるいは時間的に大きな枠組から考えることが必要です。

 

 

その上でさらに、なんらかの改変が必要と考えれば、

勇気を出して「これはおかしいのではないか、間違っているのではないか」と声をあげることが求められているのではないでしょうか。

 

 

【感想】

 

ミルグラムアイヒマン実験は聞いたことはあったんですが、こんな内容なんですね。

実際こんな実験に参加させられたらこわいですよね…

 

 

確かに私たちは「権威」というものにおそれを抱いている節はあります。

上からの指示は黙って従えっていう教育が強いので少ししょうがない感はありますが、

白衣着た偉そうな人が全部大丈夫だからボタン押せって言ったら押しますね。

 

 

結局私たちは自分がしている行為によってこの先どのようなことがおきるのか、

明確に理解できていないところが多く、

他人任せになっているのだと思います。

 

 

自分の役割はここまでだからと線引きをするのもいいですが、

なにかに巻き込まれてからでは遅いですので、視野を広く持たないといけません。

 

 

「これは間違っている」と自分で言えるような人間になりたいですね。

 

 

【総括】

他人任せにならない人生を

 

 

購入はここから

 

 

よかったらクリックしてください

にほんブログ村 本ブログへにほんブログ村 本ブログ 読書日記へ