おかだのブログ

たくさん本読みます

【継続】武器になる哲学 08アンガージュマン【勉強用】

武器になる哲学読みます。

 

 

 

 

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「役に立たない学問の代表」とされがちな哲学は、ビジネスパーソンの強力な武器になる。現役で活躍する経営コンサルだから書けた、「哲学の使い方」がわかる1冊。


【本書で紹介するキーコンセプト】
●第1章 「人」に関するキーコンセプト 「なぜ、この人はこんなことをするのか」を考えるために
・ロゴス・エトス・パトス――論理だけでは人は動かない(アリストテレス
・悪の陳腐さ――悪事は、思考停止した「凡人」によってなされる(ハンナ・アーレント) ほか

●第2章 「組織」に関するキーコンセプト 「なぜ、この組織は変われないのか」を考えるために
・悪魔の代弁者――あえて「難癖を付ける人」の重要性(ジョン・スチュアート・ミル
・解凍=混乱=再凍結――変革は、「慣れ親しんだ過去を終わらせる」ことで始まる(クルト・レヴィン) ほか

●第3章 「社会」に関するキーコンセプト 「いま、なにが起きているのか」を理解するために
アノミー――「働き方改革」の先にある恐ろしい未来(エミール・デュルケーム
・パラノとスキゾ――「どうもヤバそうだ」と思ったらさっさと逃げろ(ジル・ドゥルーズ) ほか

●第4章 「思考」に関するキーコンセプト よくある「思考の落とし穴」に落ちないために
シニフィアンシニフィエ――言葉の豊かさは思考の豊かさに直結する(フェルディナンド・ソシュール
反証可能性――「科学的である」=「正しい」ではない(カール・ポパー) ほか 

 

www.kadokawa.co.jp

 

 

8回目になります。

 

 

とりあえず10回いけば5分の1です。

 

 

【08アンガージュマンジャン・ポール・サルトル

 

ja.wikipedia.org

 

 

サルトルといえば「実存主義」ということになるわけですが、

では「実存主義」とは何か。

 

 

哲学者は

「どのように生きるべきか?」という「Howの問い」と、

「世界はどのように成り立っているのか」という「Whatの問い」 

の二つに取り組んできました。

 

 

実存主義というのは、

要するに「私はどのように生きるべきか?」という

「Howの問い」を重視する立場だ、ということになります。

 

 

ではその「問い」に対して、

サルトルはどのように答えるか。

 

 

それがアンガージュマンせよ」ということです。

 

 

アンガージュマンと聞くと、

何やら高尚な哲学用語に思われるかもしれませんが、

英語のエンゲージメントのことです。

 

 

ニュアンスとしては、

「主体的に関わることにコミットする」という感じでしょうか。

では、何にコミットするのか?

サルトルによれば、それは二つあります。

 

 

一つは私たち自分自身の行動だということになります。

 

 

現代の民主主義社会に生きている私たちには、

自分の行動を主体的に選択する権利が与えられています。

 

 

そのような社会に生きている以上、

私たちの行動や選択は自由であり、

したがって「何をするか」や「何をしないのか」という意思決定について、

自分で責任をとる必要があります。

 

 

サルトル実存主義においても

「自由」はとても「重たいもの」として位置づけられています。

サルトルはこれを指して「人間は自由の刑に処されている」と言っています。

 

 

さらにサルトルは、

私たちは「自由の行動」に責任があるだけでなく、

この世界にも責任があると主張します。

 

 

これがアンガージュマンによってコミットする二つ目の対象となる「世界」です。

 

 

サルトルによれば私たちは、

自分たちの能力や時間・・・つまり「人生」そのものを使って

ある「企て」を実現しようとしているのであり、

私たちに起きることは全て、

その「企て」の一部として引き受けなければいけない、

ということになります。

 

 

「人の一生のうちに"偶発事件”などというものは存在しえない」

とさえサルトルは言います。

 

 

サルトルが例に挙げているのは戦争です。

戦争を、人生の外側からやってきた事件のように考えるのは間違っている、

その戦争は「私の戦争」にならなくてはいけない、

なぜなら私は反戦運動に身を投じることも、

兵役を拒否をして逃走することも、

自殺によって戦争に抗議することもできたはずなのに、

それらをせず、

世間体を気にして、

あるいは単なる臆病さから、

あるいは家族や国家を守りたいという主体的な意志によって、

この戦争を「受け入れた」からです。

 

 

あらゆることが可能であるのに対して、

それをせずに受け入れた以上、

それはあなたにとって選択である・・・

実に厳しい指摘ですが、

これがサルトルの言う「自由の刑に処されている」ということです。

 

 

私たちは外側の現実と自分を二つの別個のものとして考える癖がありますが、

サルトルはそのような考え方を否定します。

 

 

外側の現実は私たちの働きかけ(あるいは働きかけの欠如)によって、

「そのような現実」になっているわけですから、

外側の現実というのは「私の一部」であり、

私は「外側の現実の一部」で両者は切って離すことができないということです。

 

 

だからこそ、その現実を「自分ごと」として主体的に良いものにしようとする態度=アンガージュマンが重要になるわけです。

 

 

ところが実際のところはどうか。

サルトルの苦言は現在の日本に生きる私たちには厳しいものに響きます。

 

 

私たちの目標が、自分の存在と自由(選択可能な範囲の広がり)をしっかりと認識した上で、

その価値を認めることであるにも関わらず、

多くの人はその自由を行使することなく、

社会や組織から命じられた通りに行動する「クソマジメな精神」を発揮してしまう、

ということがサルトルの指摘です。

 

 

就職先なんて自由に選べば良いはずなのに、

その「自由」に耐えられず就職人気ランキングの上位の会社ばかり受けてしまう、

というのは典型的な「クソマジメな精神」と言えます。

 

 

いわゆる「成功」というのは、

社会や組織の命じられるままに行動し、

期待された成果をあげることを意味しますが、

サルトルは「そんなものはなんら重要ではない」と断言します。

 

 

自由であることは、

社会や組織が望ましいと考えるものを手に入れることではなく、

選択するということを自分自身で決定することだ、

サルトルは指摘します。

 

 

このサルトルの指摘は、

目の前の組織や社会から突きつけられるモノサシによって自己欺瞞に陥ることなく、

自分自身の人生を完全な自由から生まれる芸術作品のように創造することで初めて、

自分としての可能性に気づくことができるのだと言います。

 

 

【感想】

 

 

このサルトルの指摘はとても耳が痛い話ですね。

確かに私たちは自由で生きたいと願う一方で、

完全に自由にされてしまうと戸惑ってしまいます。

 

 

自分で選べば良いはずなのに、

人に選ばせてしまったり、

言いなりになったりと

多くの場面で「自由の刑に処されている」

と言えるわけです。

 

 

もっと自分から主体的に考え・行動することが今は大事なんでしょうか。

 

 

 

なんにせよ自分の人生なのですから、

自分のために生きて生きたいですね。

 

 

【総括】

自ら動ける人間に

 

 

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