おかだのブログ

たくさん本読みます

【継続】武器になる哲学 12権威への服従【勉強用】

武器になる哲学を読みます。

 

 

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「役に立たない学問の代表」とされがちな哲学は、ビジネスパーソンの強力な武器になる。現役で活躍する経営コンサルだから書けた、「哲学の使い方」がわかる1冊。


【本書で紹介するキーコンセプト】
●第1章 「人」に関するキーコンセプト 「なぜ、この人はこんなことをするのか」を考えるために
・ロゴス・エトス・パトス――論理だけでは人は動かない(アリストテレス
・悪の陳腐さ――悪事は、思考停止した「凡人」によってなされる(ハンナ・アーレント) ほか

●第2章 「組織」に関するキーコンセプト 「なぜ、この組織は変われないのか」を考えるために
・悪魔の代弁者――あえて「難癖を付ける人」の重要性(ジョン・スチュアート・ミル
・解凍=混乱=再凍結――変革は、「慣れ親しんだ過去を終わらせる」ことで始まる(クルト・レヴィン) ほか

●第3章 「社会」に関するキーコンセプト 「いま、なにが起きているのか」を理解するために
アノミー――「働き方改革」の先にある恐ろしい未来(エミール・デュルケーム
・パラノとスキゾ――「どうもヤバそうだ」と思ったらさっさと逃げろ(ジル・ドゥルーズ) ほか

●第4章 「思考」に関するキーコンセプト よくある「思考の落とし穴」に落ちないために
シニフィアンシニフィエ――言葉の豊かさは思考の豊かさに直結する(フェルディナンド・ソシュール
反証可能性――「科学的である」=「正しい」ではない(カール・ポパー) ほか 

 

www.kadokawa.co.jp

 

 

 

最近本当に寒いですよね。

 

寒いのは苦手です。。。 

 

【12権威への服従】スタンレー・ミルグラム

 

ja.wikipedia.org

 

 

私たちは一般に、人間には自由意志があり、各人の行動は自由意志に基づいていると考えられています。

しかし、本当にそうなのか?

という疑問をミルグラムは投げかけます。

 

 

この問題を考察するにあたって、ミルグラムが行なった社会心理学史上、

おそらくもっとも有名な考察アイヒマン実験を紹介しましょう。

教育課程で心理学の単位をとったという程度の人であれば、ほとんどの授業内容は忘れているかと思いますが、

この実験の話だけは覚えているという人も多いようです。

具体的には次のような実験でした。

 

 

新聞広告を出し、

「学習と記憶に関する実験」への参加を広く呼びかける。

実験には広告に応じて集まった人から選ばれた二人の被験者と白衣を着た実験担当者(ミルグラムの助手)が参加します。

被験者二人にはクジを引いてもらい、どちらか一人が「先生」の役を、そしてもう一人が「生徒」の役を務める。

生徒役は単語の組み合わせを暗記し、テストを受けます。

生徒が回答を間違えるたびに先生は罰として生徒に電気ショックを与えるという実験です。

 

 

クジで役割が決まったら全員で一緒に実験室に入ります。

電気椅子が設置されており、生徒は電気椅子に縛り付けられる。

生徒の両手を電極に固定し、身動きができないことを確認してから先生役は最初の部屋に戻り、電気ショック発生装置の前に座ります。

この装置にはボタンが30個ついており、

ボタンは15ボルトから始まって15ボルトずつ高い電圧を発生させる

 

 

つまり最後のボタンを押すと450ボルトの高圧電流が流れるという仕組みです。

先生役の被験者は白衣を着た実験担当者から、誤答のたびに15ボルトずつ電圧をあげるように指示されます。

 

 

実験が始まると、生徒と先生はインターフォンを通じて会話します。

生徒は時々間違えるので、電気ショックの電圧は徐々に上がる。

75ボルトもで達すると、それまで平然としていた生徒はうめき声を漏らし始め、

それが120ボルトまで達すると「痛い、ショックが強すぎる」と訴え始めます。

 

 

しかし実験は続きます。

やがて電圧を150ボルトまで達すると「もうダメだ、出してくれ、実験はやめる、これ以上続けられない、実験を拒否する、助けてください」という叫びを発します。

 

 

電圧が270ボルトに達すると生徒は断末魔を叫びを発し始め、

300ボルトに至って「質問されてももう答えない!とにかく出してくれ!心臓がもうダメだ!」と叫ぶだけで、質問に答えなくなります。

 

 

この状況に対して白衣を着た実験担当者は平然と「数秒間待って返答がない場合、誤答と判断してショックを与えろ」と指示します。

さらに実験は進み、電圧は上がる。

その電圧が345ボルトまで達すると、生徒の声は聞こえなくなります。

 

 

それまで叫び続けていたのに、反応がなくなってしまいます。

気絶したのか、あるいは…

しかし白衣の実験担当者は容赦なく、さらに高い電圧のショックを与えるように指示します。

 

 

この実験で生徒役を務めているのはあらかじめ決められているサクラでした。

常にサクラが生徒役、応募してきた一般の人が先生役になるようにクジに仕掛けがしてあり、

電気ショックは発生しておらず、あらかじめ録音してあった演技がインターフォンから聞こえてくる仕掛けになったいたわけです。

 

 

しかし、そんな事情を知らない被験者にとって、この過程は現実そのものでした。

あったばかりの罪のない人を事実上の拷問にかけ、場合によっては殺してしまうかもしれない、という過酷な現実です。

 

 

さて、皆さんがこの「先生」役の立場だったら、どこで実験への協力を拒否したでしょう。

ミルグラムの実験では、40人の被験者のうち、65%にあたる26人が、痛みで絶叫し、最後に気絶してしまう(ように見える)生徒に、

最高の450ボルトの電気ショックを与えました。

 

 

どう考えても非人道的な営みに、これだけ多くの人が葛藤や抵抗感を示しながらも、

明らかに生命の危険が懸念されるレベルまで実験を続けてしまったわけです。

 

 

これほどまでに多くの人が実験を最後まで継続してしまったのはなぜなのか。

一つの考えられる仮説としては「自分は単なる命令執行役にすぎない」と、

命令を下す白衣の実験担当者に責任を転嫁しているから、と考えることができます。

 

 

実際に、多くの先生役の被験者は実験途中で逡巡や葛藤を示すものの、何かの問題が発生すれば責任は全て大学側で取るという言質を白衣の実験担当者から得ると、

納得したように実験を続けました。

 

 

「自らが権限を有し、自分の意思で手を下している感覚」の強度は、非人道的な行動への関わりにおいて決定的な影響を与えるのではないか、

ミルグラムは仮説を明らかにするため、

先生役を二人にして、一人にはボタンを押す係を、もう一人には回答の正誤の判断と電圧の数字を読み上げるという役割を与える実験を行いました。

 

 

このうち、ボタンを押す係はサクラなので、

本当の被験者の役割は「回答の正誤を判断し、与える電気ショックの電圧を読み上げる」ことだけになり、

つまり実験への関わりとしては、最初のものより消極的なものになります。

 

 

果たせるかな、最高の450ボルトまで実験を継続した被験者は、40人中37人、

つまり93%となり、ミルグラムの仮説は検証されました。

 

 

この結果は、逆に責任転嫁を難しくすれば、服従率を下がることを意味します。

例えば白衣を着た実験担当者を二人にして、途中からそれぞれが異なった指示を出すようにする。

150ボルトに達した時点で、一人の実験担当者が「生徒が苦しんでいる、これ以上は危険だ、中止しよう」と言い出す一方で、

他方の実験担当者は「大丈夫ですよ、実験を続けましょう」と促す。

このような状況下において、それ以上の電圧に進んだ被験者は一人もいませんでした。

実験を継続するかどうかの意思決定は本当の被験者である(サクラではない)先生役に大きくのしかかってくることになり、責任転嫁ができないからです。

 

 

ミルグラムによる「アイヒマン実験」は1960年代の前半にアメリカで実施されたものです。

この実験はその後、1980年代の中頃に至るまで様々な国で追試が行われていますが、

そのほとんどがミルグラムによる実験結果以上の高い服従率を示しています。

つまり、この実験結果はアメリカに固有の国民性やある時代に特有の社会状況に依存するものではなく、

人間の普遍的な性質を反映していると考えるべきだということです。

 

 

 ミルグラムによる「アイヒマン実験」の結果は様々な示唆を私たちに与えてくれます。

 

 

一つは官僚制の問題です。

官僚制と聞けば、官庁などの役所で採用されている組織制度と考えがちですが、

上位者の下にツリー状に人員が配置され、権限とルールによって実務が執行されるという官僚制の定義に当てはめれば、

今日の会社組織のほとんど全ては官僚制によって運営されていることになります。

 

 

ミルグラムの実験では、

悪事をなす主体者の責任が曖昧な状態になればなるほど、人は他者に責任転嫁し、

自制心や良心の働きは弱くなることが示唆されます。

これがなぜ厄介かというと、組織が大きくなればなるほど、良心や自制心が働きにくくなるのだとすれば、

組織の肥大化に伴って悪事のスケールも肥大化することになるからです。

 

 

ヒトラーなどの狂信的な指導者が中枢で旗を振るだけでは人は死にません。

銃や毒ガスを用いて人の手で実際に罪のない人を虫のように殺していたのはナチスの指導者たちではなく、私たちと同じような一般市民だったのです。

 

 

彼らの自制心や良心はこのとき、なぜ働かなかったのか。

アーレント「分業」という点に注目します。

 

 

ユダヤ人の名簿作成から始まって、

検挙、拘留、移送、処刑に及ぶまでのオペレーションを様々な人々が分担するため、

システム全体の責任所在は曖昧になり、極めて責任転嫁のしやすい環境が生まれます。

 

 

このオペレーションの主導的ば役割を果たした、

アドルフ・アイヒマンは、良心の呵責に苛まれることがないよう、

できるかぎり責任が曖昧に分断かされたオペレーションを構築することを心がけた、と述懐しています。

 

 

ミルグラムの実験結果は、人が集団でなにかをやるときこそ、

その集団のもつ良心や自制心は働きにくくなることを示唆しています。

 

 

もう一点、ミルグラムによる「アイヒマン実験」はまた、

私たちに希望の光を与えてくれます。

 

 

権威の象徴である「白衣の実験担当者」のあいだで意見が食い違った時、

100%の被験者が150ボルトという「かなり低い段階」で実験を停止した、

という実験結果から、自分の良心や自制心を後押ししてくれるような

意見や態度によって、ほんのちょっとでもアシストされれば、

人は「権威への服従を」止め、良心や自制心に基づいた行動をすることができる。

 

 

人は権威に対して驚くほど脆弱だというのが、

ミルグラムの「アイヒマン実験」の結果から示唆される人間の本性ですが、

権威へのちょっとした反対意見、良心や自制心を後押ししてくれるちょっとしたアシストがあれば、

人は自らの人間性に基づいた判断をすることができる、ということです。

 

 

システム全体が悪い方向に動いている時に「これは間違っているのではないか」と最初に声をあげる人の存在の重要性を示しているように思います。

 

 

現在のように分業がスタンダードになっている社会では、

私たちは悪事をなしているという自覚すら曖昧なままに、

巨大な悪事に手を染めることになりかねません。

 

 

多くの企業で行われている隠蔽や偽装は、その分業によってこそ可能になっていると考えられます。

 

 

これを防ぐためには、自分がどのようなシステムに組み込まれているのか、

自分がやっている目の前の仕事が、システム全体としてどのようなインパクトを社会に与えているのか、

それを俯瞰して空間的、あるいは時間的に大きな枠組から考えることが必要です。

 

 

その上でさらに、なんらかの改変が必要と考えれば、

勇気を出して「これはおかしいのではないか、間違っているのではないか」と声をあげることが求められているのではないでしょうか。

 

 

【感想】

 

ミルグラムアイヒマン実験は聞いたことはあったんですが、こんな内容なんですね。

実際こんな実験に参加させられたらこわいですよね…

 

 

確かに私たちは「権威」というものにおそれを抱いている節はあります。

上からの指示は黙って従えっていう教育が強いので少ししょうがない感はありますが、

白衣着た偉そうな人が全部大丈夫だからボタン押せって言ったら押しますね。

 

 

結局私たちは自分がしている行為によってこの先どのようなことがおきるのか、

明確に理解できていないところが多く、

他人任せになっているのだと思います。

 

 

自分の役割はここまでだからと線引きをするのもいいですが、

なにかに巻き込まれてからでは遅いですので、視野を広く持たないといけません。

 

 

「これは間違っている」と自分で言えるような人間になりたいですね。

 

 

【総括】

他人任せにならない人生を

 

 

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【継続】武器になる哲学 10自己実現的人間【勉強用】

武器になる哲学読みます。

 

 

 

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●第2章 「組織」に関するキーコンセプト 「なぜ、この組織は変われないのか」を考えるために
・悪魔の代弁者――あえて「難癖を付ける人」の重要性(ジョン・スチュアート・ミル
・解凍=混乱=再凍結――変革は、「慣れ親しんだ過去を終わらせる」ことで始まる(クルト・レヴィン) ほか

●第3章 「社会」に関するキーコンセプト 「いま、なにが起きているのか」を理解するために
アノミー――「働き方改革」の先にある恐ろしい未来(エミール・デュルケーム
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●第4章 「思考」に関するキーコンセプト よくある「思考の落とし穴」に落ちないために
シニフィアンシニフィエ――言葉の豊かさは思考の豊かさに直結する(フェルディナンド・ソシュール
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ついに二桁に到達しました。

全体の5分の1、、、

 

 

【10自己実現的人間】エイブラハム・マズロー

 

ja.wikipedia.org

 

 

マズローは人間の欲求を次の五段階に分けて構造化しました。

 

 

第一段階:生理の欲求

第二段階:安全の欲求

第三段階:社会欲求と愛の欲求

第四段階:承認(尊重)の欲求

第五段階:自己実現の欲求

 

 

マズローの欲求五段階説は、皮膚感覚にとても馴染むこともあって、爆発的といっていいほど浸透したわけですが、実証実験ではこの仮説を説明できるような結果が出ず、未だアカデミックな心理学の世界では扱いの難しい概念のようです。

 

 

マズロー自身は、これらの欲求は段階的なものであり、より低次の欲求が満たされることで、次の段階の欲求が生まれると考えていたのですが、この考え方もあとにあらためるなど、提唱者自身の言説にもかなりの混乱が見られます。

 

 

確かに、少なくない数の成功者は、功成り、名を遂げた後で、セックスやドラッグに溺れていくことを私たちは知っています。

 

 

セックスというのはこの枠組みで普通に解釈すれば、第一段階の「生理の欲求」ということになりますから、マズローが当初主張した、「欲求のレベルがシーケンシャルに不可逆に上昇していく」という仮説は、ちょっと考えただけで誤りということがわかります。

 

 

このように書くと、もしかしたら「いや、それはマズローのいう意味での“生理の欲求”とは違うんだ」といった反論があるかも知れませんが、そもそもマズロー自身による「欲求の定義」は、もとから曖昧な上に、時間軸で揺れ動いているようなところがあるので、こういった議論にはあまり意味がないように思います。

 

 

マズローは、欲求欲求五段階説の最高位にある「自己実現」を果たしたと、マズロー自身がみなした多くの歴史上の人物と、当時存命中だったアインシュタインやその他の人物の事例研究を通じて、自己実現を成し遂げた人に共通する15の特徴」を挙げたんですね。

 

 

1現実をより有効に知覚し、それとより快適な関係を保つこと

 願望・欲望・不安・恐怖・楽観主義・悲観主義などに基づいた予見をしない。

未知なものや曖昧なものにおぼえたり驚いたりせず、むしろ好む。

 

2受容(自己・他者・自然)

人間性の脆さ、罪深さ、弱さ、邪悪さを、ちょうど自然を自然のままに無条件に受け入れるのと同じように受け入れることができる。

 

3自発性、単純さ、自然さ

行動、思想、衝動などにおいて自発的である。

行動の特徴は単純で、自然で、気取りや効果を狙った緊張がない。

 

4課題中心的

哲学的、倫理的な基本的問題に関心があり、広い準拠枠の中で生きている。

木を見て森を見失うことがない。

広く、普遍的で、世紀単位の価値の枠組みを持って仕事をする。

 

5超越的ープライバシーの欲求

独りでいても、傷ついたり、不安になったりしない。

孤独やプライバシーを好む。

このような超越性は、一般的な人たちからは、冷たさ、愛情の欠落、友情のなさ、敵意などに解釈される場合がある。

 

6自律性ー文化と環境からの独立・意思・能動的人間

比較的に物理的環境や社会的環境から独立している。

外部から得られる愛や安全などによる満足は必要とせず、自分自身の発展や成長のために、自分自身の可能性と潜在能力を頼みとする。

 

7認識が絶えず新鮮であること

人生の基本的なモノゴトを、何度も新鮮に、純真に畏敬や喜び、驚きや恍惚感などを持ちながら認識し、味わうことができる。

 

8神秘的体験ー至高体験

神秘的な体験をもっている。

恍惚感と驚きと畏敬を同時にもたらすような、とてつもなく重要で価値のある何かが起こったという確信である。

 

9共同社会感情

人類一般に対して、時には怒ったり、いらだったり、嫌気がさしても、同一視や同情・愛情をもち、人類を助けようと心から願っている。

 

10対人関係

心が広く深い対人関係をもっている。

少数の人たちと、特別に深い結びつきを持っている。

これは、自己実現的に非常に親密であるためには、かなりの時間を必要とするからである。

 

11民主的性格構造

もっとも深遠な意味で民主的である。

階級や教育制度、政治的信念、人類や皮膚の色などに関係なく、彼らにふさわしい性格の人とは誰とでも親しくできる。

 

12手段と目的の区別、善悪の区別

非常に倫理的ではっきりとした道徳基準をもっていて、正しいことを行い、間違ったことはしない。

手段と目的を明確に区別でき、手段よりも目的のほうにひきつけられる。

 

13哲学的で悪意のないユーモアセンス

悪意のあるユーモア、優越感によるユーモア、権威に対抗するユーモアでは笑わない。彼らがユーモアとみなすものは、哲学的である。

 

14創造性

特殊な創造性、独創性、発明の才をもっている。

その創造性は、健全な子供の天真爛漫で普遍的な創造性と同類である。

 

15文化に組み込まれることへの抵抗

自己実現的人間は、いろいろな方法で文化の中でうまくやっているが、非常に深い意味で、文化に組み込まれることに抵抗している。社会の規制ではなく、自らの規制に従っている。

 

 

一つ一つに指摘にそれぞれ深遠的な響きがあり、自分がそのような存在であるが、省みるための大きな契機になるように感じられるのではないでしょうか。

 

 

私たちは一般的に、知人や友人は多ければ多いほど良い、と思う傾向があります。

確かに、友人や知人の数が多ければ、例えば仕事で声をかけてもらうとか、あるいは何かのときに助けてもらうことは、より容易になると思われます。

 

 

マズローの考察によれば、成功者中の成功者である「自己実現的人間」は、むしろ孤立気味で、ごく少数の人とだけ深い関係を作っている。

このマズローの指摘は、ソーシャルメディアなどを通してどんどん「薄く、広く」なっている私たちの人間関係について、再考させる契機なのではないでしょうか

 

 

実は同様に指摘している人が、過去の賢人の中にもいます。

例えば『荘子』の「山木篇」に「小人の交わりは甘きこと醴の如し、君子の交わりは淡き水の如し」という言葉があります。

醴とは甘酒のようにべったり甘い飲み物のことです。

つまり荘子は、物事をわきまえていな小人たちの付き合いはべたべたしており、その逆である君子の付き合いは、水のようにあっさりしていると言っているわけです。

 

 

さらに『荘子』では以下のように続きます。

「君子は淡くして以って親しみ、小人は甘くして以って断つ。彼の故無くして以って合する者は、即ち故無くして以って離る」

 つまり、君子は交友が淡いからこそ続き、小人は交友が甘いがゆえにすぐに終わるのだという、まあかなり意訳してますが、そういうことを言っているわけです。

 

 

小人の交わりというのは「故無くして断つ」わけで、そこには自立という観点がありません。

つまり、お互いがお互いに依存している状況になっていて、そこから抜けだせずにベタベタと付き合っているということです。

 

 

心理学ではこの状況を共依存という概念で整理します。

共依存はもともと、アルコール依存症の患者がパートナーに依存しながら、また同時にパートナーも患者のケアという行為に自分自身の存在価値を見出していくような状態がしばしば観察されたことから、看護現場で生まれた概念です。 

 

 

そしてここが重要なんですが、共依存の関係にあるアルコール依存症患者とそのパートナーは、アルコール依存症そのものが関係性を維持するための重要な契機になっていることに無意識のうちに理解しているため依存症の治癒につながるような行為の妨害(=イネーブリング)したり、結果として患者が自立する機会を阻害したりする、という自己中心性を秘めていることが報告されています。

 

 

表面的には「他者のため」という名目で、本人自身もアタマからそう自覚しながら、実は自己本意な存在確認ん欲求を秘めている。これが共依存の関係です。

 

 

話を元に戻せば、私たちの「広く、薄い」人間関係もまた、そのようになっていないか。

マズローによる「自己実現を成し遂げた人は、ごく少数の人と深い関係を築く」という指摘は、今あらためて、私たちの「人のネットワークの有様」について考える時がきていることを示唆しているように思います。

 

 

【感想】

 

 

自己実現を成し遂げた人に共通する15の特徴」に関しては、

ほんとかなーって思ってしまう部分は多々ありましたが、

確かに広く浅く付き合うよりは、狭く深く付き合うほうがいい気はします。

 

 

また2受容(自己・他者・自然)に関しては、

ありとあらゆるものを受け入れるという点で確かにすごく大事だと思いました。

他人の意見を受け入れられない人は成長できませんもんね。

 

 

何かを手に入れようとする行為は同時に何かを捨てる行為だと誰かは言いましたが、

自己実現するためにはそれ相応の対価が必要のようですね。

誰しもがこのように生きれるわけではないですが、

頭の片隅に入れておくといいかもしれません。

 

 

【総括】

でもちょっと依存しあうのっていいなって思ったり

 

 

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【読了】億男【感想】

億男読み終えました。

 

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内容紹介

新作「四月になれば彼女は」の原点、
川村元気の傑作小説!

お金を巡るリアルな物語が、バブルに湧く中国で大反響!
人気俳優主演で、中国で映画化決定。

2015年、本屋大賞ノミネート。

累計100万部突破『世界から猫が消えたなら』の川村元気の小説第2作は
BRUTUS連載で話題沸騰の、お金のエンタテインメント。
突如、億万長者となった図書館司書の、お金をめぐる30日間の大冒険!

「お金と幸せの答えを教えてあげよう」
宝くじで3億円を当てた図書館司書の一男。
浮かれる間もなく不安に襲われた一男は「お金と幸せの答え」を求めて
大富豪となった親友・九十九のもとを15年ぶりに訪ねる。
だがその直後、九十九が失踪した―――。
ソクラテスドストエフスキーアダム・スミスチャップリン福沢諭吉
ジョン・ロックフェラードナルド・トランプビル・ゲイツ……
数々の偉人たちの言葉をくぐり抜け、
一男の30日間にわたるお金の冒険が始まる。
人間にとってお金とは何か?
億男」になった一男にとっての幸せとは何か?
九十九が抱える秘密と「お金と幸せの答え」とは?

<本書の推薦コメント>

大泉洋さん(俳優)
「あまり本を読まない私が久しぶりに一気に読んだ。億という金をいきなり手にした男はどうなってしまうのか。金と人間の生々しい話を聞かされながら何度も涙が溢れた。これは子を持つ親にはたまらない物語だ。読後、いきなり娘を抱きしめ怒られた。責任を取れ川村元気

岩井俊二さん(映画監督)
「読み終わった時、お金といういつも僕らのポケットの中にいるこいつがとんでもない怪物に思えてきた」

松浦弥太郎さん(「暮しの手帖」編集長、エッセイスト)
「やっぱりお金とは友だちのようだ。こにくたらしいけれど、僕は信じて生きていきたい」

 

 

映画化もしました。

 

okuotoko-movie.jp

 

2015年本屋大賞受賞してます。

 

www.bookoffonline.co.jp

 

川村元気さんの作品です

他の作品も紹介してます

 

 

okdken.hatenablog.com

 

 

 

川村元気さんの作品いいんですよね

おもしろいし内容が深いのでよく読みます

 

 

では、感想にいきましょう。

 

 

【感想】

 

この話は3億円を主人公が当てたところから始まります。

 

 

3億円という大金を抱えて旧友に会いに行くが、旧友と3億円が忽然と姿を消す

 

 

旧友と3億円を探すなかで、

お金と、幸せとは考える話です。

 

 

 

 

3億円いいですね

 

 

3億円あったら、、、 

 

 

なんて考えますけどこの本ではお金について割と本気で考える内容になります。

 

 

ふとした瞬間にお金を手にした主人公はお金の重さを知らない

 

 

お金とはなんなのか

どのように使うべきなのか

自分とお金の価値観を見つけ

「お金と幸せ」について考えます。

 

 

お金があるのが幸せなのか

お金がなくても幸せなのか

 

 

多くのお金の失敗を通して、

お金の本当の大事さに気づいていく

 

 

人それぞれかもしれませんが、

お金がなくても感じられる幸せというのは大切にしたい気がします。

 

 

 

でもお金は大事ですよね

 

 

 

 

 

 

ちなみにこの本は名言多いです。

 

 

「戦おう。人生そのものに。生き、苦しみ、楽しむんだ。生きていくことは美しく、素晴らしい。死と同じように、生きることも避けられないのだから」

 

人生に必要なもの。それは勇気と想像力と、ほんの少しのお金さ

 

チャップリンの言葉みたいです。

 

 

でもほとんどの正解は、取り返しがつかなくなってから気付くものだ。

 

 

 

お金は鋳造された自由である

 

ドストエフスキーの言葉です。

お金があれば自由は買える、

ただ、お金で幸せは買えないかもしれない

 

 

 

 

 

【総括】

お金を生かすも殺すも自分次第

 

 

 

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【継続】武器になる哲学 09悪の陳腐さ【勉強用】

武器になる哲学読みます。

 

 

 

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「役に立たない学問の代表」とされがちな哲学は、ビジネスパーソンの強力な武器になる。現役で活躍する経営コンサルだから書けた、「哲学の使い方」がわかる1冊。


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●第1章 「人」に関するキーコンセプト 「なぜ、この人はこんなことをするのか」を考えるために
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●第2章 「組織」に関するキーコンセプト 「なぜ、この組織は変われないのか」を考えるために
・悪魔の代弁者――あえて「難癖を付ける人」の重要性(ジョン・スチュアート・ミル
・解凍=混乱=再凍結――変革は、「慣れ親しんだ過去を終わらせる」ことで始まる(クルト・レヴィン) ほか

●第3章 「社会」に関するキーコンセプト 「いま、なにが起きているのか」を理解するために
アノミー――「働き方改革」の先にある恐ろしい未来(エミール・デュルケーム
・パラノとスキゾ――「どうもヤバそうだ」と思ったらさっさと逃げろ(ジル・ドゥルーズ) ほか

●第4章 「思考」に関するキーコンセプト よくある「思考の落とし穴」に落ちないために
シニフィアンシニフィエ――言葉の豊かさは思考の豊かさに直結する(フェルディナンド・ソシュール
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もう完全に冬ですね。

 

寒いのは苦手です。

 

 

【09悪の陳腐さ】ハンナ・アーレント

 

 

ja.wikipedia.org

 

彼女を題材とした映画もあるようです。

 

www.cetera.co.jp

 

youtube予告編

 

www.youtube.com

 

 

ナチスドイツによるユダヤ人虐殺計画において、

600万人を「処理」するための効率的なシステムの構築と運営に主導的な役割を果たしたアドルフ・アイヒマンは、

1960年、アルゼンチンで逃亡生活を送っていたところを非合法的にイスラエルの秘密警察=モサドによって拿捕され、エルサレムで裁判を受け、処刑されます。

 

ja.wikipedia.org

 

このとき、連行されたアイヒマンの風貌を見て関係者は大きなショックを受けたらしい。

それが彼があまりにも「普通の人」だったからです。

 

 

アイヒマンを連行したモサドのスパイは、

アイヒマンについて「ナチス親衛隊の中佐でユダヤ人虐殺計画の指揮をしたトップ」というプロファイルから「冷徹で屈強なゲルマンの戦士」を想像していたらしいのですが、

実際の彼は小柄で気の弱そうな、ごく普通の人物だったのです。

 

 

しかし裁判はこの「気の弱そうな人物」が犯した罪の数々を明らかにしていきます。

 

 

この裁判を傍聴していたハンナ・アーレントは、

その模様を本にまとめています。

 

 

主題はそのまんま『エルサレムアイヒマン』となっていてわかりやすのですが、

問題はその副題です。

アーレントはこの本の副題に「悪の陳腐さについての報告」とつけています。

 

 

「悪の陳腐さ」・・・奇妙な副題だと思いませんか。

通常「悪」というのは「善」に対置される概念で、

両者は共に正規分布でいう最大値と最小値に該当する「端っこ」に位置付けられます。

 

 

しかし、アーレントはここで「陳腐」という言葉を用いています。

「陳腐」というのはつまり「ありふれていてつまらない」ということですから、

正規分布の概念をあてはめればこれは最頻値あるいは中央値ということになり、

我々が一般的に考える「悪」の位置付けとは大きく異なります。

 

 

アーレントがここで意図しているのは、我々が「悪」についてもつ「普通ではない何か特別なもの」という認識に対する揺さぶりです。

アーレントは、アイヒマンが、ユダヤ民族に対する憎悪やヨーロッパ大陸に対する攻撃心といったものではなく、

ただ純粋にナチス党で出世するために、与えられた任務を一生懸命こなそうとして、

この恐るべき犯罪を犯すに至った経緯を傍聴し、最終的にこのようにまとめています。

 

 

曰く、

「悪とはシステムを無批判的に受け入れること」と。

 

 

その上でさらに、アーレントは「陳腐」という言葉を用いて、この「システムを無批判的に受け入れる悪」は、我々の誰もが犯すことになってもおかしくないのだ、という警鐘を鳴らしています。

 

 

別の言い方をすれば、通常、「悪」というのはそれを意図する主体によって能動的になされるものだと考えられていますが、アーレントはむしろ、それを意図することなく受動的になされることにこそ「悪」の本質があるのかもしれない、と指摘しているわけです。

 

 

私たちはもちろん、所与のシステムに則って日常生活を営んでおり、その中で仕事をしたり遊んだり思考したりしているわけですが、私たちのうちどれだけが、システム持つ危険性について批判的な態度を持てているか、少なくとも少し距離をおいてシステムそのものを眺めるということをしているのかと考えると、これははなはだ心もとない

 

 

自分を含め、多く人は、現行のシステムがもたらす悪弊に思いを至すよりも、システムのルールを見抜いてその中で「うまくやる」ことをつい考えてしまうからです。

 

 

しかし、過去の歴史を振り返ってみれば、その時代その時代に支配的だったシステムがより良いシステムにリプレースされることで世界はより進化してきたという側面もあるわけで、現在私たちが乗っかかっているシステムも、いずれはより良いシステムにリプレースされるべきなのかも知れません。

 

 

仮にそのように考えると、究極的には世の中には次の二つの生き方があるということになります。

 

 

①現行のシステムの所与のものとして、その中でいかに「うまくやるか」について、思考も行動も集中させる、という生き方

 

②現行のシステムの所与のものとせず、そのシステム自体を良きものに変えていくことに、思考も行動も集中させる、という生き方 

 

 

残念ながら多くの人は上記の①の生き方を選択しているように思います。

書店のビジネス書のコーナーを見ればわかるように、ベストセラーと呼ばれる書籍は全て嫌らしいくらいに上記の①の論点に沿って書かれたものです。

 

 

こういったベストセラーは大体、現行のシステムの中で「うまくやって大金を稼いだ人」によって書かれているため、これを読んだ人が同様の思考様式や行動様式を採用することでシステムそのものは自己増殖/自己強化を果たしていくことになります。

しかし、本当にそういうシステムが継続的に維持されることはいいことなのでしょうか。

 

 

話を元に戻せば、ハンナ・アーレントの提唱した「悪の陳腐さ」は、20世紀の政治哲学を語る上で大変重要なものだと思います。

人類史上でも類を見ない悪事は、それに見合うだけの「悪の怪物」がなしたわけではなく、思考を停止し、ただシステムに乗っかってこれをクルクルハムスターのように回すことだけに執心した小役人によって引き起こされたものだ、とするこの論考は、当時衝撃をもって受け止められました。

 

 

凡庸な人間こそが、極め付けの悪となりうる。

「自分で考える」ことを放棄してしまった人は、誰でもアイヒマンのようになる可能性があるということです。

その可能性について考えるのは恐ろしい事かも知れませんが、しかし、だからこそ、人はその可能性をしっかり見据え、思考停止してはならないのだ、ということをアーレントは訴えているのです。

私たちは人間にも悪魔にもなり得ますが、両者を分かつのは、ただ「システムを批判的に思考する」ことなのです。

 

 

【感想】

 

 

「悪とはシステムを無批判的に受け入れること」

 

割と響く言葉ですね、、、

 

 

確かにシステム自体を批判するのではなく、

その中でどうにかしよう、と考える節はあります。

 

正しいシステムのなかであれば問題ないのですが、

間違ったシステムに入れられてしまった時に自分がその選択をできるのか、

今一度考える必要はありますね。

 

 

必要なのは自分で見て、考えて、選ぶ事

 

 

ちゃんと考えられる人間になりたいです。

 

 

【総括】

思考を停止した凡人というパワーワード

 

 

 

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【継続】武器になる哲学 11認知的不協和【勉強用】

武器になる哲学を読みます。

 

 

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「役に立たない学問の代表」とされがちな哲学は、ビジネスパーソンの強力な武器になる。現役で活躍する経営コンサルだから書けた、「哲学の使い方」がわかる1冊。


【本書で紹介するキーコンセプト】
●第1章 「人」に関するキーコンセプト 「なぜ、この人はこんなことをするのか」を考えるために
・ロゴス・エトス・パトス――論理だけでは人は動かない(アリストテレス
・悪の陳腐さ――悪事は、思考停止した「凡人」によってなされる(ハンナ・アーレント) ほか

●第2章 「組織」に関するキーコンセプト 「なぜ、この組織は変われないのか」を考えるために
・悪魔の代弁者――あえて「難癖を付ける人」の重要性(ジョン・スチュアート・ミル
・解凍=混乱=再凍結――変革は、「慣れ親しんだ過去を終わらせる」ことで始まる(クルト・レヴィン) ほか

●第3章 「社会」に関するキーコンセプト 「いま、なにが起きているのか」を理解するために
アノミー――「働き方改革」の先にある恐ろしい未来(エミール・デュルケーム
・パラノとスキゾ――「どうもヤバそうだ」と思ったらさっさと逃げろ(ジル・ドゥルーズ) ほか

●第4章 「思考」に関するキーコンセプト よくある「思考の落とし穴」に落ちないために
シニフィアンシニフィエ――言葉の豊かさは思考の豊かさに直結する(フェルディナンド・ソシュール
反証可能性――「科学的である」=「正しい」ではない(カール・ポパー) ほか 

 

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一項目に対する文字数がどんどん増えてきました。

 

 

頑張ります。。。

 

 

【11 認知的不協和】レオン・フィスティンガー

 

ja.wikipedia.org

 

 

日本語の「洗脳」は英語の「Brainwashing」の直訳であり、英語の「Brainwashing」は中国語の「洗腦」の直訳です。

 

 

この用語は、米国の諜報機関であるCIAが、朝鮮戦争の捕虜収容所で行われた思想改造について作成した報告書で初めて紹介され、その後、ジャーナリストのエドワード・ハンターが、中国共産党の洗脳技法についての著書を著したことで広く知られるようになりました。

 

 

朝鮮戦争当時、米国当局は、捕虜となった米国の多くが短期間のうちに共産主義に洗脳されているという事態に困惑していました。

今日では、この時に中国共産党が実施していた洗脳技法がどのようなものであったかが、明らかとなっています。

 

 

誰かの思想・信条やイデオロギーを変えさせようとする場合、私たちは一般的に、反論を強く訴えて説得したり、あるいは拷問をかけたりしなければ難しいのではないか、と考えがちです。

 

 

しかし、中国が実際やったのは、全くそうゆうことではなかったんですね。

彼らは捕虜となった米兵に「共産主義にもいい点はある」という簡単なメモを書かせ、その報酬としてタバコや菓子など、ごくわずかなものを渡していました。たったこれだけのことで、米兵捕虜はパタパタ共産主義に寝返ってしまったのです

 

 

この洗脳手法は、私たちの常識感覚からは大きく外れるように思えますよね。

思想や信条を変えさせるために褒賞を渡すということは、つまり「思想・信条を買い取るためのワイロ」なわけですから、多額の報償でなければ効果がないように思われます。

 

 

ゲーテの戯曲「ファウスト」では、ファウスト博士は、死後の「魂の服従」を条件に、現世における「人生のあらゆる快楽」を得るという契約を悪魔メフィストフェレスと交わします。

 

 

「魂の服従」とはつまり、思想・信条を売り渡すということですから、そのためには「現世のありとあらゆる快楽」くらいの褒賞でないと釣り合わないということでしょう。

 

 

ところが、米兵捕虜は、思想・信条を変えるのに当たって、タバコやお菓子しかもらってない。

これは一体どうゆうことなのでしょうか。

 

 

この不可解なエピソードには認知的不協和理論によって説明することができます。

認知的不協和理論の枠組みに沿って、米兵捕虜の中でどのような心理プロセスが経過したかをなぞってみましょう。

 

 

まず、自分はアメリカで生まれ育ち、共産主義は的だと思っています。

ところが捕虜になってしまい、共産主義を擁護するメモを書いている。

この時、贅沢な褒賞が出ていれば、「贅沢な褒賞のために、仕方なくメモを書いた」ということで、「思想・信条に反するメモを書いた」というストレスは消化されることになります。

 

 

しかし、実際にもらったのはタバコやお菓子などの、些細な褒賞でしかない。

これでは、「思想・信条に反するメモを書いた」というストレスは消化されません。

 

 

ストレスの元は「共産主義は敵である」という信条と「共産主義を擁護するメモを書いた」という行為の間に発生している「不協和」ですから、この不協和を解消するためには、どちらかを変更しなければなりません。

 

 

共産主義を擁護するメモを書いた」というのは事実であって、これは変更できません。

変更できるとすれば、共産主義は敵である」という信条のほうですから、こちらの信条を「共産主義は敵だが、いくつかいい点もある」と変更することで、「行為」と「信条」のあいだで発生している不協和のレベルを下げることができる。

 

 

これが米国捕虜の脳内で起きた洗脳のプロセスです。

ちなみに、レオン・フェスティンガーが認知的不協和の理論をまとめたのは、朝鮮戦争より後のことですから、中国共産党は独自で洗脳手法を編み出したということになります。

その「人間の本性を洞察する力」には驚かされます。

 

 

私たちは「意思が行動を決める」と感じますが、実際の因果関係は逆だ、ということを認知的不協和理論は示唆します。

外部環境の影響によって行動が引き起こされ、そのあとに、発現した行動に合致するように意思は、いわば遡求して形成されます

 

 

つまり、人間は「合理的な生き物」なのではなく、後から「合理化する生き物」なのだ、というのはフェスティンガーの答えです。 

 

 

認知的不協和論につて、フェスティンガーが実際に行った実験は次のようなものでした。退屈でつまらない作業を長時間にわたってさせたあとで、

「実験は終わりですが、今日はアシスタントが休みなので、次の参加者を呼んでください。その際、この実験はとても面白いと伝えてください」と伝えます。

要するに「嘘をつけ」と言われるわけです。

 

 

実際には、次の被験者はサクラで、被験者が言われた通りの嘘をつくかどうかを確認する役に務めます。

最後に、被験者の作業の印象について質問用紙に記入して実験は終わります。

 

 

この時、参加者には二つの条件が設定されます。

第一条件のグループでは、被験者は参加の報酬として20ドルを受け受け取ります。

第二条件のグループでは1ドルしかもらえない。

さて、どのような結果が予想されるか。

 

 

「退屈な作業だった」という認知と「とても面白かった」という嘘は対立しますから、

ここに認知的不協和が生じます。

すでに嘘をついた事実は否定できないので、不協和を軽減するためには「退屈な作業だった」という認知を改変するしかありません。

 

 

この場合、報酬が高額であれば、不協和は小さくなります。

嫌なことがあっても報酬のためにやったということにすればいい。

しかし、報酬が小さい場合、嘘の正当化が難しくなるので、より「退屈な作業だった」という認知を改変する要因は強くなります。

 

 

果たして結果は、フェスティンガーの仮説通り、少額の報酬しかもらわなかった第二グループの方が、より「楽しい作業だった」と答える比率が高かったのです。

 

 

私たちは一般に、何かを人に依頼する時、より高い報酬を払った方が、楽しんでやってもらえるのではないか、と考えがちです。

しかし、フェスティンガーの認知的不協和に関するこの実験の結果を見れば、

そうではない、ということがわかります。

 

 

事実と認知のあいだで発生する不協和を解消させるためには、認知を改める。

これは人間関係などでもよくある話です。

好きでもない男性から、あれこれ厚かましく指示されて手伝っていたところ、

そのうち好きになってしまった、というような話がありますね。

 

 

 

これも認知的不協和のなせるわざと考えられます。

「好きではない」という認知と「あれこれ世話をしている」という事実は不協和を発生させます。

「あれこれ世話をしている」という事実は改変できないのですから、不協和を解消させようとすると、「好きではない」という気持ちを「少しは好意があるかも」と改変してしまった方が楽です。

 

 

かくして、傍若無人にあれこれ命令されて、最初は迷惑そうにしていた女性が、

しばらくすると恋に落ちているということになるわけです。

 

 

周囲から影響を受け、考えが変わり、その結果として行動に変化が生じると私たちは信じています。

人間は主体的存在であり、意識が行動を司っているという自律的人間像です。

しかし、フェスティンガーはこの人間観を覆しました。

社会の圧力が行動を引き起こし、行動を正当化・合理化するために意識や感情を適応させるのが人間だということです。

 

 

【感想】

 

人の考えを変えるために、「認知」と「事実」を使って不協和を起こし、

改変させるという技術は素直にとてもすごいと思いました。

 

 

確かに人の意識は変わりやすく、様々な状況で変化する場合があります。

その変化を巧みに利用し、思想・信条やイデオロギーを変えさせる

もし自分がその技術を使うことができれば大きな武器になりますよね。

 

 

使わないにしても知っているだけで、自分自身を守ることもできそうです。

 

 

きっと私たちが気がつかないだけで、

こういった思想・信条を変化させるものがこの世には溢れているような気がします。

 

 

そういったものから自分を守り、己の持つ思想・信条は変えない生き方をできればいいですね。

 

 

【総括】

人間は周りに影響されやすい

 

 

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【継続】武器になる哲学 08アンガージュマン【勉強用】

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8回目になります。

 

 

とりあえず10回いけば5分の1です。

 

 

【08アンガージュマンジャン・ポール・サルトル

 

ja.wikipedia.org

 

 

サルトルといえば「実存主義」ということになるわけですが、

では「実存主義」とは何か。

 

 

哲学者は

「どのように生きるべきか?」という「Howの問い」と、

「世界はどのように成り立っているのか」という「Whatの問い」 

の二つに取り組んできました。

 

 

実存主義というのは、

要するに「私はどのように生きるべきか?」という

「Howの問い」を重視する立場だ、ということになります。

 

 

ではその「問い」に対して、

サルトルはどのように答えるか。

 

 

それがアンガージュマンせよ」ということです。

 

 

アンガージュマンと聞くと、

何やら高尚な哲学用語に思われるかもしれませんが、

英語のエンゲージメントのことです。

 

 

ニュアンスとしては、

「主体的に関わることにコミットする」という感じでしょうか。

では、何にコミットするのか?

サルトルによれば、それは二つあります。

 

 

一つは私たち自分自身の行動だということになります。

 

 

現代の民主主義社会に生きている私たちには、

自分の行動を主体的に選択する権利が与えられています。

 

 

そのような社会に生きている以上、

私たちの行動や選択は自由であり、

したがって「何をするか」や「何をしないのか」という意思決定について、

自分で責任をとる必要があります。

 

 

サルトル実存主義においても

「自由」はとても「重たいもの」として位置づけられています。

サルトルはこれを指して「人間は自由の刑に処されている」と言っています。

 

 

さらにサルトルは、

私たちは「自由の行動」に責任があるだけでなく、

この世界にも責任があると主張します。

 

 

これがアンガージュマンによってコミットする二つ目の対象となる「世界」です。

 

 

サルトルによれば私たちは、

自分たちの能力や時間・・・つまり「人生」そのものを使って

ある「企て」を実現しようとしているのであり、

私たちに起きることは全て、

その「企て」の一部として引き受けなければいけない、

ということになります。

 

 

「人の一生のうちに"偶発事件”などというものは存在しえない」

とさえサルトルは言います。

 

 

サルトルが例に挙げているのは戦争です。

戦争を、人生の外側からやってきた事件のように考えるのは間違っている、

その戦争は「私の戦争」にならなくてはいけない、

なぜなら私は反戦運動に身を投じることも、

兵役を拒否をして逃走することも、

自殺によって戦争に抗議することもできたはずなのに、

それらをせず、

世間体を気にして、

あるいは単なる臆病さから、

あるいは家族や国家を守りたいという主体的な意志によって、

この戦争を「受け入れた」からです。

 

 

あらゆることが可能であるのに対して、

それをせずに受け入れた以上、

それはあなたにとって選択である・・・

実に厳しい指摘ですが、

これがサルトルの言う「自由の刑に処されている」ということです。

 

 

私たちは外側の現実と自分を二つの別個のものとして考える癖がありますが、

サルトルはそのような考え方を否定します。

 

 

外側の現実は私たちの働きかけ(あるいは働きかけの欠如)によって、

「そのような現実」になっているわけですから、

外側の現実というのは「私の一部」であり、

私は「外側の現実の一部」で両者は切って離すことができないということです。

 

 

だからこそ、その現実を「自分ごと」として主体的に良いものにしようとする態度=アンガージュマンが重要になるわけです。

 

 

ところが実際のところはどうか。

サルトルの苦言は現在の日本に生きる私たちには厳しいものに響きます。

 

 

私たちの目標が、自分の存在と自由(選択可能な範囲の広がり)をしっかりと認識した上で、

その価値を認めることであるにも関わらず、

多くの人はその自由を行使することなく、

社会や組織から命じられた通りに行動する「クソマジメな精神」を発揮してしまう、

ということがサルトルの指摘です。

 

 

就職先なんて自由に選べば良いはずなのに、

その「自由」に耐えられず就職人気ランキングの上位の会社ばかり受けてしまう、

というのは典型的な「クソマジメな精神」と言えます。

 

 

いわゆる「成功」というのは、

社会や組織の命じられるままに行動し、

期待された成果をあげることを意味しますが、

サルトルは「そんなものはなんら重要ではない」と断言します。

 

 

自由であることは、

社会や組織が望ましいと考えるものを手に入れることではなく、

選択するということを自分自身で決定することだ、

サルトルは指摘します。

 

 

このサルトルの指摘は、

目の前の組織や社会から突きつけられるモノサシによって自己欺瞞に陥ることなく、

自分自身の人生を完全な自由から生まれる芸術作品のように創造することで初めて、

自分としての可能性に気づくことができるのだと言います。

 

 

【感想】

 

 

このサルトルの指摘はとても耳が痛い話ですね。

確かに私たちは自由で生きたいと願う一方で、

完全に自由にされてしまうと戸惑ってしまいます。

 

 

自分で選べば良いはずなのに、

人に選ばせてしまったり、

言いなりになったりと

多くの場面で「自由の刑に処されている」

と言えるわけです。

 

 

もっと自分から主体的に考え・行動することが今は大事なんでしょうか。

 

 

 

なんにせよ自分の人生なのですから、

自分のために生きて生きたいですね。

 

 

【総括】

自ら動ける人間に

 

 

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【継続】武器になる哲学 07報酬【勉強用】

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7回目です。

 

 

この本50項目まであるから、

50回目までできるんですけど、

無事50回もできるのでしょうか

 

 

 

【07 報酬】バラス・スキナー

 

報酬系に関する研究にスキナーという人がいます。

 

ja.m.wikipedia.org

 

あの有名なレバーを押し下げるとエサが出る箱

=スキナーボックスを作って、

ネズミがどういう行動をするかを研究した人です。

 

 

スキナーは次の4つの条件を設定し、

ネズミがもっともレバーを押し下げるようになるのはどの条件下か、

という実験を行いました。

 

 

①レバーの押し下げに関係なく、一定時間感覚でエサが出る

=固定感覚スケジュール

②レバーの押し下げに関係なく、不定期感覚でエサが出る

=変動感覚スケジュール

③レバーを押すと、必ずエサが出る

=固定比率スケジュール

④レバーを押すと、不確実にエサが出る

=変動比率スケジュール

 

 

スキナーの実験によると

レバーを押し下げる回数は、

上記の④⇨③⇨②⇨①の順で減少することが分かっています。

 

 

この結果について特に注意して欲しいのが、

「③レバーを押すと、必ずエサが出る」

よりも

「④レバーを押すと、不確実にエサが出る」

という条件の方が、

どうもネズミは動機付けされているらしい、

という点です。

 

 

この結果は、

私たちが考える『報酬のあるべき姿』からすると、

かなり違和感のあるものではないでしょうか。

 

 

これはいわゆる「行為の強化」に関する実験ですが、

行為は、その行為による報酬が必ず与えられると分かっている時よりも、不確実に与えられる時の方がより効率的に強化される

ということです。

 

 

翻って、この実験結果を人間に当てはめてかんがえてみると、

「不確実なものほどハマりやすい」という生理的傾向が、

この社会の様々な側面に応用されていることがわかります。

 

 

まずわかりやすいのがギャンブルです。

ラスベガスのスロットマシンも

日本のパチンコも確率を変動させながら報酬を与える仕組みになっていて、

これにハマる人が後を絶えない。

 

 

数年前に社会現象になったコンプガチャも、

まさに変動比率スケジュールによってレアなガチャが出る、

という仕組みになっているわけで、

こういう領域でいろいろとサービスを開発している人たちの

人間性に関する洞察の鋭さには本当に戦慄させられます。

 

 

そして最後に思いつくのが

TwitterFacebookなどのソーシャルメディアです。

もしかしたら「ソーシャルメディア報酬系」といわれて

違和感を覚える方も多いかもしれません。

 

 

ソーシャルメディアが人に与えてくれる報酬はドーパミンです。

 

 

長いこと、ドーパミンは快楽物質だと考えられてきました。

しかし、最近の研究ではドーパミンの効果は人に快楽を感じさせることよりも、

何かを求めたり、欲したり、探させたりすることであることが分かってきています。

 

 

ドーパミンが駆動するのは

覚醒、意欲、目標志向行動などで、

その対象は、食べ物、異性などの物質的欲求だけでなく、

抽象的な概念、つまり素晴らしいアイデアや新しい知見といったものも含まれます。

 

 

因みに最近の研究では快楽に関与しているのは、

ドーパピンよりもオピオイドであることが分かっています。

 

 

ケント・バーリッジの研究によれば、

この二つの系=欲求系ドーパミン

快楽系オピオイドは相補的に働くらしい。

つまり人をコントロールするエンジンとブレーキのような役割ということです。

 

 

欲求系=ドーパミンにより特定の行動に駆り立てられ、

快楽系=オピオイドが満足を感じさせて追求行動を停止する。

 

 

そしてここが重要な点ですが、

一般的に欲求系は快楽系より強く働くため、

多くの人は常に何らかの欲求を感じて追求行動に駆り立てられるのです。

 

 

ドーパミンシステムは、

予測できない出来事に直面したときに刺激されます。

予測できない出来事、

つまりスキナーボックスの実験条件④の場合ということです。

 

 

ツイッターフェイスブック、メールは予測できません。

これらのメディアは変動比率スケジュールで動いているため、

人の行動を強化する(繰り返しそれを行わせる)効果が非常に強いのです。

 

 

なぜソーシャルメディアにハマるのか?

それは「予測不可能だから」というのが、

近年の学習理論の知見がもたらしてくれる答えだということになります。

 

 

 【感想】

 

 

この手の話は割と面白いですよね。

 

 

パチンコとか競馬とかSNSとか

こういった理由でハマるんだーって

 

 

確かに毎回必ず出るものより

不確定な方が出たときの嬉しさって倍増しますよね。

 

 

「不確実なものほどハマりやすい」

 

 

本当にそう思います。

 

 

【総括】

ハマりすぎは要注意。

 

 

 

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